籾撒き
sho
【近畿】
2006/04/14(金) 21:29:41
ちょっと外れた質問で大変恐縮ですが、コメの籾撒きは種を薄くまく、薄撒きがよいとされています。
昔(たとえば明治)は、厚撒きが一般的に奨励されていたのでしょうか。またもしそうであれば、いつごろから薄撒きが奨励されるようになったのでしょうか。
よろしくお願いいたします。
植木屋 園主
[URL:http://members.aol.com/Oujien/]
2006/04/14(金) 22:11:19
shoさん、こんちは〜♪
>コメの籾撒きは種を薄くまく、薄撒きがよいとされています。
これは定かでは有りません私の思い付きでの発言です(^^ゞ
薄く蒔く!と云うのは今も昔も会ったのではと思います?
但し昔は今みたいに病害虫など発生すれば防除の方法が無かったし、必然的に米麦に頼る農耕民族であるが故に失敗すれば即死活問題に発展するのが怖いから
自然と少々枯れてもある程度は残るのではと言う発想になったのでは?
今現在の機械による田植えの前は、水田に直接苗床(苗代田)を設け、
その当時の頃が種籾の量は逆に少なかった様に思います?
但しこの頃は苗高が20〜25cm?程度は伸ばしていたのじゃなかったかな?
定植にしても手植えの当時は8寸×8寸(約24cm)間隔で植え込んでいました
これは私達の地域は植木苗木の生産が盛んで、当時田植え時に使用していた田植え用の尺綱が、今でも植木苗を植える時の基準として使用されているから判った事です
ごめんなさいね
お尋ねの件とはチョッと違ったかもですが福岡県久留米市周辺での事でした
たちつ
【近畿】
2006/04/15(土) 05:49:44
昭和30年代後半から40年前半と思う。(機械は高いので府県地域に拠り遅い府県もある。農業機械は、いっときに、重なるのでムダも多い。高いし、大きいし、近所で順番に使いまわしができないし、普段は納屋のお荷物。最近は機械持ち込みでアルバイトしている人もいるとか。これも四季が有るので仕方が無い。)
時代の背景。
機械化農業(勤労所得獲得による農業従事者の離農=人手不足・重労働からの開放=私は日本版奴隷解放と言っている。=工業労働者の確保と田畑取り上げ時代。) 特に手植えから田植え機による機械化の変移と農協指導の浸透。田植え機も2段階あったと思う。植え付け本数や苗の大きさも変わった。
食生活の多様化による米飯の減少(量から質への変換・美味しい米作り)、今は、もっと進んで、売れる米作りの為、沢山の有名ブランドが作られている。
台風前の収穫。
品種改良が早くなった。(病気に強い、沢山取れる、美味しい、茎が丈夫が基本原則)
配給制度のなし崩し的崩壊と供出制度の造反による自主流通米制への変化。これは国が取り締まりに躍起になったが、弾圧したが時代の流れには勝てなかった。歴史上庶民が国の弾圧に勝った唯一の事例。
次は外圧にいつまで抵抗できるかが次の試練。(米の完全自由化、これは温暖化により小麦が作れないので米を作りたくなる・アメリカの販売先が日本を狙っている。 や雨が少ないと塩分が地表に浮き出す、塩害でアメリカも小麦から米に転作しないとどうしょうもない。したくなる。アメリカは売り先が無い。)
これらが上手く重なって、時代の波に乗った。その転換期が厚蒔きと薄蒔きの分かれ目と思います。
コシヒカリの普及状況・田植え機の歴史関連の農業白書を見ればわかるかもね。サイトは50年代後半しか紹介されていない。
統計の難しさは、作付け面積の減少や休耕田・野菜他に転作・豊作凶作の年もあり、品種別の収穫などの統計も無い。ので、米の石高だけでは、判断できない部分もある。
私は蛭虫とイモリが大嫌いなので、田植えだけはしたことが無い。泣きそう。 (^_^;)
田の草取りは、暑いし、蛇が出るし、腰は痛いし、葉先がチクチク刺さる。
稲刈りは、腰が痛いし、目の前で蛇が睨んでいるし。
脱穀は痒いし。
手伝いといえば、稲の天日干しと雀追いとイナゴとり程度。藁積みは香りが好きなのでしたことがある。
米作りは、しんどいだけなので、逃げ出した口 なので、あまり詳しくはありません。大分勘違いしているかも知れません。 (^_^;)
sho
2006/04/15(土) 12:07:57
[[解決]]
園主さん、たちつさん> ご親切に詳しいお返事を本当にありがとうございました。なんとお礼を申し上げていいかわかりません。本当にありがとうございました。
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