本当の諸葛菜て何?
デブグマ
2008/06/16(月) 13:26:41
少し掲示板の目的とずれていますがお許しを。
紫花菜のことを諸葛菜とも言われていますが、諸葛菜のいわれとして
諸葛公明が戦場での野菜不足を補う目的で栽培されたのでこの名がついた。
と説明されているサイトと諸葛菜とは同様な目的で蕪の仲間の菜を栽培した
と書かれているサイトがあります。
どちらが正しいのでしょうか?
あと、紫花菜は野菜として本当に食べられますか?
レシピをご存じの方教えて下さい。
花梨
【関東】
2008/06/16(月) 14:41:23
手元の図鑑によりますと、戦後、中国から持参した種子を増やして頒布、
紫金草として広めたとあるのですが(栽培は江戸時代からのようです)
どのような理由で広めたのかが記載されていません。
ただわざわざタネを頒布して栽培したということ、時代の背景を考えれば
当時は野菜として栽培されていたのではないかと思います。
ただ手元の山菜図鑑ではショカツサイのことはまったく触れておらず、
これだけ入手しやすい草が掲載されていないということを考えると
栽培地の土壌によって性質が変わってくるとか、なんらかの問題があって
現在では食用として紹介されなくなったのかな、とも思います。
※検索しましたら「若い芽をおひたしなどにして食べる」というサイトもありました。
確かに若い芽以外はほとんどがエカキムシの被害にあって、食べようという気も
起きませんね。
Aquiya
【関東】
[URL:http://aquiya.skr.jp/]
2008/06/17(火) 12:07:50
こんにちは。
『中国の花物語』(飯倉照平著・集英社新書)という本に以下のような記述があります。
●現在の四川省で唐代から使われていた「諸葛菜」という名称は、本来は蔓菁(カブ)、あるいはカブのように肥大した根を持つ植物を指す。
●現代の中国の辞典の中には、「諸葛菜」は「カブの別名」と「ムラサキハナナのこと」というふたつの語意が載せられているものがある。
カブと混同されてムラサキハナナも諸葛菜と呼ばれるようになったのではないか、と著者は推測しています。
なおムラサキハナナは若い葉や茎が食用にされることがあり、種子からは油が採取されるそうなので、もしかしたら救荒作物として利用されたことがあったのかもしれませんね(日本で食用にされたことがあるのかどうかは不明です)。
ただし諸葛孔明が栽培させたのは、やはりカブと考えるのが自然なようにも思いますが・・・
同じ書に、朝日新聞の投書(ムラサキハナナの思い出に関する、複数の人の投書)が紹介されています。
●1939年に、中国でムラサキハナナを目にした軍人が記念として種を持ち帰った。
●ムラサキハナナの種をあちこちにまく「花ゲリラ」が出没したことがある。
*『園芸植物大事典』(小学館)には最初の渡来は1935年ごろで、昭和30年代以降全国的に普及したと書かれています。
以上、ご参考まで。
デブグマ
【関東】
2008/06/17(火) 18:32:32
[[解決]]
花梨さんAquiyaさんレスありがとう。
質問はしてみたものの、紫花菜の方は葉は菜っ葉のたぐいの様に大きくないし、根茎が太くなって食べられるわけでも、成長が特別早くもないし、
寒い所では栽培できなさそう。種子も偏平で油を採るにも効率悪そう。
蕪の仲間の方(人頭菜)が葉も根も食用にできて妥当性が高いと思いました。あと同じようなことを考えている人もいました。
http://www.onsenmaru.com/harbor/H-250/H-258-shokatsusai.htm
諸葛菜の由来については下記内容がすごく説得力があるように思いました。
http://sangokushi.chugen.net/371/index.html
誰かが紫花菜を諸葛菜だといい加減なこと(ちょっとトゲがある表現かも)
を言ったのが広まって本来の諸葛菜の由来の一部と結びついてしまったのでは。
夏ツバキを沙羅双樹と間違えてシャラの木と言ったり、アッツ島と無関係
なのにアッツ桜などと名前を付けたり。真相はこのたぐいと同類かも。
デブグマ
【関東】
2008/06/18(水) 13:12:41
解決済みにはしましたが、追加で一言、紫花菜の悪口ばかり書いてしまいました。
食べるのには不向きな様ですが青紫の花はとてもきれいだと思います。
これだけ普及したのはきっと、この花の魅力のせいだったのでしょう。
私も今年咲いて種が採れたので来年も咲かせます。
来年は若い芽のおしたしと、花をイーディブルフラワーとしてサラダに
入れて食べてみようかと思います。
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