ハイドロカルチャ−について

[園芸相談センター]の過去ログです

ハッピ−マン 2006/03/07(火) 10:50:49
観葉植物をハイドロカルチャ−で育てておられる方がずいぶん多いのですが、普通の鉢植えと同じように大きく育てられるものなのでしょうか? まさかおしゃれな使い捨て感覚ではないとは思うのですが、わたしが出先で見る元気な観葉植物は全部が全部鉢植えなもので質問させていただきました。

犬塚信乃 2006/03/07(火) 18:01:07
ハッピーマンさんが、感じておられるであろうことを私も感じます。
そもそも自然界で起こり得ない環境での育成は
禍々しいものを感じる、というのは言いすぎでしょうか?

通行人 【関東】 2006/03/07(火) 20:41:07
ハイドロカルチャーでも成長は続けますが、ものすごくゆっくりで、土植えのものとは比べものになりません。
なので、ハイドロだけど大きな株というのは、大きくなるまで土で育て、その後ハイドロに植え替えたものがほとんどだと思います。
ハイドロの場合は成長が遅いことを、むしろメリットと考えるべきだと思います(なるべくコンパクトなままで育てたい場合など)。

ただ、ハイドロカルチャーでは一般的に、日光に当てるのは注意を要します。
容器内の水の温度が日射によって上昇し、極端な場合はお湯になる→根が煮える、ということが起きやすいからです。
(鉢植えでも、真夏の炎天下で不用意に水やりすると、暑さで根が傷むことがありますが、ハイドロは土より温度の緩衝作用が働きにくいのでしょう)
なので、日光を好む植物は基本的にハイドロカルチャーには向かないし、元気に育てるのは難しいと思います。

以上が一般論ですが、もしかしたらハイドロでもわりにすくすく育つ植物もあるかもしれません(湿地性の植物など)。

犬塚さま
>そもそも自然界で起こり得ない環境での育成は
>禍々しいものを感じる、というのは言いすぎでしょうか?
ん〜、これを言い始めると、そもそも多くの観葉植物は熱帯性の植物ですから、それを日本のような冬は寒いところに連れてきて室内で育てること自体、不自然といえば不自然なわけで・・・。
土で植えてあれば自然、ハイドロカルチャーは不自然と、簡単に線引きできるものかいな?と思います。

いや、観葉植物だけじゃないですよね。草花であれ花木であれ多肉植物であれ犬塚さんがお好きなランであれ、日本とはまったく違う気候・風土の地域から来ている植物は山ほどあります。
たぶん日本ほど、あらゆる国の植物を平気でそこらの店で売ってる国って、ないんじゃないでしょうか?
もっといえば、本来地面に根を張って育つ植物を鉢植えにすること自体が不自然だし。日本の誇る分化である盆栽も、植物の「自然な環境」という観点からは、とんでもなく奇形的だという見方も成り立つでしょう。

そういう意味では、日本って何でもすごく貪欲に消費する国だし、私たちがやってる「園芸」という行為は、植物からみればものすごくエゴイスティックな行動じゃないでしょうか。
でも、私たちは(おのれのエゴに自覚的か無自覚かは別として)そんな植物を愛しいと思い、(植物たちには不自然・不自由をガマンしてもらって)共生していきたいなあと願う。
園芸っていうのはもしかしたら、ものすごく罪深い趣味なのかもしれません。

ハッピ−マン 2006/03/08(水) 11:49:49
みなさんいろいろご意見をいただきありがとうございます。
園芸というか、植物に興味があると仕事で外に出ても時間つぶしが楽ちんです。

去年のこと、少年野球の大会に審判を頼まれたことがありました。大会の式辞を聞いていたら「健全な精神は健全な肉体にやどる」という、古くて懐かしい言葉がでてきました。わたしは、この言葉の意味を「健全な肉体に健全な精神がやどれば最高にいいのになあ、それはたいへん難しいことだよ」というように理解しておりましたが、子供たちへの説明は「健全な肉体に健全な精神がやどります、だから体を鍛えましょう」というものでした。今の時代は、古い人の残した言葉を解釈するときの基準が定まっていない自己流の時代です。

よく言われる「情けは人の為ならず」もそうですよね。「情けをかけるのは、その人のためにならない、だから情けはかけないほうがよい」という解釈が現代流らしい。「人に情けをかけるのは、その人のためではなく自分のためにかける。人にかけた情けはめぐりめぐっていつか自分のところに帰ってくる」これは昔の解釈。

では、園芸に関しての考え方はどうでしょう。「芸」というものは、対象物に対して自分の魂を打ち込むこと、「心技体」が一体となって表現されることだとされてきました。その基本は「芸」の対象を、園芸ならば植物を尊敬することから始まるとされてきました。
では、現代流の園芸の解釈はどうでしょう。少なくとも植物を尊敬するなどという気持ちは少ない。

盆栽のお話しが出ました。じつはわたしは盆栽が嫌いなのですが、盆栽は盆栽で園芸の世界で一家をなしてきたと思います。「芸」として価値を見出している世界のひとつでしょう。

ハイドロカルチャ−での栽培が、園芸なのかどうか?そんな疑問ではなく、植物を育てるという基本的な考え方として問題はないのですか?という小さな疑問があったのです。少なくとも偶然か奇縁かは別として自分の手元に来た植物ですから、その一瞬を楽しむのではなくて、最後まで育てきるという面でハイドロカルチャ−というものをわたしがよく知らないのでお尋ねしました。わたしはハイドロカルチャ−を毛嫌いするものではありません。

園芸というのは、命を預かるという面では罪深い趣味でしょう。枯れこんだ枝を折って、可愛そうなことをしたと思うことも幾度も経験しますよね。なんとかして命をつなげないものかと思いますよね。そうした経験の中から得られた知識は園芸の技につながると思います。

犬塚信乃さんのご意見は辛辣ですが、信念を感じますね。何事にも基本があるでしょう、それを忘れて植物は育てられないですよ、そんな感じですね。

通行人さんのご意見は、植物の育て方は色々あるでしょうということで、ハイドロカルチャ−もそのひとつだということですね。園芸はエゴ行為かもしれないなということですが、エゴというより自己満足の世界でしょう。何があっても植物は何もいいませんから、エゴイスティックな行動だという通行人さんは実に思いやりのある方だと思いました。

水瀬葵 【関東】 [URL:http://id1.fm-p.jp/9/ICIJOU/] 2006/03/10(金) 00:40:49
ハイドロカルチャーはそもそも
清潔、おしゃれ、というイメージのほかに
成長を抑制する育て方という観念があります。
鉢植えだと短期間で巨大化するものの成長速度を半分以下に抑えたりできます。(植物によりますが)
植物にとっては足元が変で「たまったものではない」のかもしれませんが人間からすると狭い家ですくすく巨大化されるほうが「かんべんしてくれ」なわけですね〜。

ハッピ−マン 2006/03/10(金) 11:30:17
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植物を出来る限り健康に育てることと、植物を身近で最高に楽しむこと。これは誰しもが常々考えていることですよね。
ハイドロカルチャ−で植物を育てておられる方は、植物が早く大きく育つと具合が悪いと考えておられたり、また見た目がオシャレだとか汚れ難いからということなのですね。 であるならば、そういう方々には、造花の鑑賞をお薦めしたい。そのほうが健全であると思うのですがどうでしょう。今のご時世、本物以上に本物らしいつくりものは探せば幾らでもある。水瀬葵さん、そうは思いませんか? 植物を小さく育てておられる方は多いですが、それでも大きく育つと「よしよし」と褒める人がほとんどです。ハイドロカルチャ−は、わたしには、なかなか理解しがたい世界です。 みなさん、お世話様でした、解決!

ゆりぽん 【関東】 2006/03/10(金) 16:14:43
解決済みですが・・・。

以前、ハイドロカルチャーでディフェンバキアを育てていました。
他人様の家に間借りしている状態でしたので、「見た目がオシャレで汚れ難い」ハイドロカルチャーを選んだのですが、
ディフェンバキアはハイドロカルチャーに合っているらしく、とても良く育ちました。
株分けして株分けして、最終的に1株が8株に増えました。

ハイドロカルチャーも、合う植物と合わない植物があるので、合わないものを無理に育てるのはどうかと思いますが、合うものを育てるのは、立派な園芸だと思います。

球根の水栽培だって園芸ですもの。

小さいままでいて欲しい、と思うのもある程度は仕方のないことでは?
鉢植えにしても、あまりに大きくなってしまったものは剪定したり仕立て直したりしますよね。正直、褒めてばかりはいられません。
ハイドロカルチャーだけを「不自然」というのはどうかと思います。

ハイドロカルチャーをしていた当時のわたしには、他に植物を育てる選択肢がなかったので、「そういう方は造花でも」と言われるととても悲しくなってしまいます。
いろいろな制約の中で、それでも根っこのついた植物とつきあいたい、と思っている人間もいるのです。

ただ、最近の観葉植物売り場では、かなり無理のあるハイドロカルチャーを目にすることも確かです。店員さんに聞いても無責任な答えしか返ってこないことも多いようです。
そして、それを知識もなしに買って飾る人が多数いることも事実。

せめて、1冊くらい園芸書を買って育て方を調べてからにする、とか、難易度の低い小さいものから育てる、などしていただけると良いのですが。

犬塚信乃 2006/03/10(金) 18:12:27
解決済ですが
ハッピーマンさんが仰っているクーベルタン男爵の言葉は
「・・・健全な身体に宿れかし」と言っているものであり
勿論、ハッピーマンさんの解釈が正しいのですが
クーベルタン男爵の時代に於いて既に
身体と精神の不一致が問題になっていたものだとすると
その根は随分と深いものだという気がします。

ハッピーマンさんの記述に触発されて、園芸に関係の無いことを
ダラダラと書きましたが、「健全な姿」とは何なのか、を
考えた次第です。

ぽー 【関東】 2006/03/10(金) 19:10:48
ハッピーマンさんの「造花をお薦め」発言に、う〜んこれは何か言わなきゃ・・・と悩んでいたら、ゆりぽんさんが私の気持ちを代弁してくださいました。(別に賛成だ反対だ、と白黒つけなきゃいけない問題ではないのですが)

>いろいろな制約の中で、それでも根っこのついた植物とつきあいたい、と思っている人間もいるのです。
これ、ほんとに同感です。
うちでもなんだかんだ8鉢ぐらいありますけど、日の射さないリビングの奥や寝室、仕事机の上のグリーンが、どれほど心癒してくれることか。うちには土植えの観葉もたくさんありますが、そういう場所には、耐陰性の強い(あるいは直射日光をきらう)植物のハイドロカルチャーのほうが育てやすいのです。
ハイドロやってる人がみな、「おしゃれ・清潔・コンパクト」という理由だけでやってるわけじゃない。まして、使い捨て感覚で育てているわけじゃない、ってことはご理解くださいね。

ただ、ハイドロカルチャーが「おしゃれ、清潔、手軽」というイメージで販売されているのは事実だし、その宣伝文句を鵜呑みにして買う消費者が多いのも事実。
でも、実際に育ててみると、ハイドロだって虫もわけばカビも生える。そこであわてて掲示板に駆け込んで・・・なんていう事例をよく見ます。
でもそこで、「思ったより手がかかるのね〜」とショックを受けながらも、そこから植物とのつきあいを学んでいく人はすごく多い。園芸の入門としては、そんな形もアリじゃないかと、最近の私は思っています。

とはいえ、
>ただ、最近の観葉植物売り場では、かなり無理のあるハイドロカルチャーを目にすることも確かです。
これも、ほんとにほんとに同感。売ってるほうは、それこそ「使い捨てで結構、また新しいのを買ってください」と思ってるんじゃないか?と腹が立つこともあります。

これだけたくさん出回っているわりには、ハイドロカルチャーの知識があまり普及してないなあ〜と思う今日このごろです。

それにしても「健全な園芸」って・・・???

のら 2006/03/10(金) 20:07:34
私はハイドロカルチャーで植物を育てたことがありませんが、不健全な方法だとは思っていません。
矮化剤を使った鉢花や盆栽など生育を抑えた園芸は不健全になるのでしょうか。
わが家の一室は冬季終日温風ヒーターで加温しており地球温暖化に加担しているので、
地球規模で考えたら不健全な方法で植物を育てていることになりそうです。

クライマー 【近畿】 2006/03/10(金) 21:43:48
ハッピーマンさんのハイドロカルチャーに対する意見に対して、引き合いに出そうと思ってた本の題名と著者をさっきやっと思い出しました。  あれ、済になってる。もういいか・・と今見たら、たくさん意見出てて、ついでに失礼いたします。       高校時代に読んだ「ドン・ファンの教え」(カルロス・カスタネダ著)と言う本ですが、ネイティヴアメリカン(インディアンて今は言ってはいけない)の伝統的な生活を守っている人物ドン・ファンに密着取材・・てな内容    かなり深遠な内容で高校生にはちと重かったのですが、その中でいまでも頭に残ってる事は、ネイティヴアメリカンは薬草やドラッグの草を育てる時他人任せにせず、それを使う人が愛情持って育てる。     そうすれば、そのひとにとって最高に効く薬草・最高に効くドラッグになってくれる・・と言うことです。                 植物の感情の有無は私達には分かりませんが彼らにとってはあって当たり前なのでしょう。     もし植物が、手間かけて自分のために尽くしてくれる人間に恩返ししようという気持ちを持って暮らしてるとしたら、そう考えると張り合いができる気がします。
それが、山の中であろうと、マンションのハイドロカルチャーのガラス容器であろうとそこに植物と人間が愛情もってむかいあってる限り、「ドン・ファンの教え」はけして迷信じゃない・・
 同じ種類の植物でも、同じ性質とは限らない。  人の好みも違うかもしれない、ハッピーマンさんちの植物たちはきっとみんな土派で、「や〜ハイドロやったらどないしょうかと思た。ええとこ寄せてもうた」「あんたも土派でっか。ここはよろしで」などと話してるかも  
  ゆりぽんさんちのディフェンバキアも「居心地ええんで、えらい肥えてもうて、こんだけいい思いさしてくれるなんて、もしかしたら俺にきィあるんとちゃうか」とか思ってるかも
 何か、メルヘンチックな「あ〜ま〜い!」と言われそうな意見ですが

水瀬葵 【関東】 [URL:http://id1.fm-p.jp/9/ICIJOU/] 2006/03/11(土) 17:28:11
 私宛っぽい書き込みだったので解決済みですが失礼を。

 作り物というもので満足できないから多分生きてる植物を買うんだと思いますよ〜。まあ、買っては放置して「枯れちゃったのよ〜。」とか言ってる方には「作り物のほうがひょっとしていいのでは・・・」とも思いますが。(笑)でも、生きてる植物は「育つ」楽しみがあるんでしょうね。育て続ければ愛着もわくけどシルクフラワー(造花)はどんなにきれいでも愛着は半減。
この掲示板にも「大きくなりすぎたOOをなんとかしたい」とか質問がよくあります。うちでは観葉がいっぱいあるので当然数年たてば育ちすぎます。すると大きくなる楽しみと住宅事情の葛藤が出てきて、「悪いけどそれ以上伸びると天井なんだよ〜。背の高さ前後で勘弁しなさいっ。」となり、切り戻しとなるわけです。切り戻すと挿し木できて楽しいという話もありますが。(笑)
 「植物を自然に近い状態で育てる」といって鉢植えの木や大型の植物を延び放題にしてあきらかに弱らせてる方もいますし、マンションの規定で土が室内に持ち込めないので「水耕栽培のみで育てる」というかたもいらっしゃる。ハイドロカルチャーもしかり。楽しみ方は人それぞれで感性や、住宅事情も人それぞれ。
鉢植えはもともと人の都合で植物を鉢に押し込めてるわけですから適切な管理をするのは人の役目ですね。ハイドロカルチャーだのゼリーだのいろいろ新商品はあって、純粋な園芸から言えば邪道なのかもしれません。うちでもハイドロはあまりやりませんが、ハイドロの植物が長年うまく育ってくれるとこれはこれで嬉しいものです。
その素材の特徴をつかんで、自分なりの育て方を確立するのも新しい発見というか楽しみの一つだと私は思います。

 うちにはハイドロのみで7年になるドラセナコンシンネがあったのをふと思い出しました。(一昨年知人にあげちゃいましたが)
最初の問いかけのお答えになるかと思いカキコ。ちなみにハイドロで育てるほとんどの人はある程度まで小さく育てて限界を超えると土に植え替えるパターンが多いですね〜。

ハッピ−マン 2006/03/12(日) 03:28:51
今日はぽかぽか陽気で、かねてから頼んでおいた花木六本を植えようと園芸店に寄ったら、「あしたからまた寒うなる言うてるし、きょうはやめとき〜」で、来週に延期。ということで裏の山中の用水池へ砂取りに出動。3月26日から堰を復活して貯水開始ということで砂取りは例年の仕事、土嚢袋に20個、最後は汗だく、半日仕事。菊の挿し床、芝生の目土、庭土の改良、など砂の用途もけっこう多い。午後は庭の土いじり、草取り。

深夜になってPC付けたら解決印に皆さん方のご意見が付いていることを発見。ありがとうございます。

「いろいろな制約の中で、それでも根っこのついた植物とつきあいたい、と思っている人間もいるのです。」という、ゆりぽんさんのお話は説得力がありますね。制約の無い中での園芸など存在しないでしょうね。ハイドロカルチャ−で栽培されている方が、それなりの目的意識を持って、クライマ−さんのお話のように、以心伝心というか、愛情を持って育てておられるのならば納得です。わたしは「不自然」な盆栽が嫌いですが、盆栽をしている方は、少なくとも相当な愛情を注いで育てておられるのも事実です。

水瀬葵さんのお答えが最後という感覚でいたわけですが、大きく育ちすぎると困るので、厄介者とならないようにハイドロカルチャ−で小さく育てるということだったので、大きく育てるのが健全だと思うわたしの目からみると理解しがたいところがあると思ったということです。

純粋な園芸という言葉がでてきましたが、園芸は日々の制約のなかで生きている人間が、自分の手の中で作り上げる純粋な虚構の世界なのだと思います。自分の描く理想の絵姿に合うパズル片をあれこれ探す壮大なジグソ−パズルの楽しさでしょう。自然を愛しながら不自然な状態でしかありえないことは園芸だけではありませんね。不自然さが大きい分、愛情を持って接っすることができれば良いことです。園芸は自己満足の世界です、

大塚さん、「健全な姿」を測る柱というか鏡が見えにくい時代。物の形が定まらない時代。国の形が定まらない時代。だと思います。けっして悪い時代だとは思いませんが、「健全」という言葉がまぶしく感じますね。

ぽ−さん、「健全な園芸」が、「健全な姿勢で臨む園芸」だとするとどうなるのでしょう。園芸相談で、「あなたから見ても、わたしから見ても、そして第三者から見ても、納得できる園芸」でしょうか? それとも栽培する人間の都合ではなく、「その植物にもっとも適した栽培方法・技術でする園芸」なのでしょうか? わたしは「自分の納得できる園芸」だと思っています。 みなさん、ご回答ありがとうございました。 


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